1:はじめての小説神髄

 ぼくは、近代文学を読もうと思いました。でも、そもそも近代文学って、いつから始まるんでしょうか...

 そこで、手っ取り早く知るために、Web上の百科事典Wikipediaで調べてみることにしました。こういうとき、インターネットは、ほんとに便利っすね!

 さっそく、Wikipediaで「近代文学」を検索してみると、こんな説明が載っていました。

世界文学においては、広義にはシェイクスピア・セルバンテスなどが活躍した1600年頃から第二次世界大戦終結までの文学。狭義にはロマン主義の時代(1800年頃)からモダニズムの時代(1920年頃)までの文学。日本文学においては、明治から昭和戦前期の文学の総称。⇨日本の近現代文学史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%A6 

 ぼくは、日本の近代文学を知りたいので、つぎに、「日本の近現代文学史」で検索してみることにしました。すると、こんな説明が載っていました。

日本の近代文学は、坪内逍遥の『小説神髄』(1885年)によって実質的に出発し、二葉亭四迷は『小説総論』(1886年)を書いた。前者をもとに逍遥は『当世書生気質』(1885年)を書いたが、戯作の風情を多分に残していた。それらを克服して1887年に発表された四迷の『浮雲』は、日本の近代小説の嚆矢とされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2

 どうやら、「近代文学」は、坪内逍遥が書いた『小説神髄』から始まっているようです。そこで、さっそく本屋さんに行き、岩波文庫の『小説神髄』を購入しました。
じゃ〜ん!↓
 家に帰り、わくわくしながら本を開くと、さっそく戸惑ってしまいました。

小説の美術たる由を明らめまくせば、まづ美術の何たるをば知らざる可らず。

 うっ・・・・・・・・・ こ、これは・・・・・・


 『小説神髄』の冒頭の一文です。これは昔の書き言葉、いわゆる文語文ってやつじゃないですか!これだから、昔の日本文学はキライなんですよ!読みにくいったらありゃしない!でも、今回は、覚悟をもって挑んでいるので、ここは、ぐっと堪えなければいけません。どうやら、『小説神髄』を読むためには、古語辞典が欠かせないようです。はぁ〜〜〜〜〜〜

 そこで、ぼくは、さっきの文章を、もういちど読んで、気になったところを古語辞典で調べてみました。

小説の美術たる由を明らめまくせば、まづ美術の何たるをば知らざる可らず

 「小説の美術たる」の「たる」は、断定の助動詞「たり」の連体形です。次の「明らめまくせば」の「まく」の部分ですが、「ま」は推量の助動詞「む」の未然形「く」は接尾語です。そして「せば」の部分ですが、せ」は過去の助動詞「き」の未然形「ば」は接続助詞です。次の「美術の何たるをば」の「をば」は、格助詞「を」に、係助詞「は」が濁音化したもの。「ざるべからず」の「ざる」は打ち消しの助動詞「ず」の連体形「べから」は推量の助動詞「べし」の未然形「ず」は打ち消しの助動詞です。

 まとめると、下のようになります。

「小説」
「の」=主格の助動詞
「美術」
「たる」=断定の助動詞「たり」の連体形
「由」=理由
「を」=連用修飾語の格助詞
「明らめ」=マ行下二段活用の連用形
「ま」=推量の助動詞「む」の未然形
「く」=接尾語
「せ」=過去の助動詞「き」の未然形
「ば」=接続助詞
→「まくせば」=〜しようとするならば
「まづ」=連用修飾語の副詞
「美術」
「の」=主格の助動詞
「何」
「たる」=断定の助動詞「たり」の連体形
「を」=連用修飾語の格助詞
「ば」=濁音化した係助詞
「知ら」=ラ行五段活用の未然形
「ざる」=打ち消しの助動詞「ず」の連体形
「可ら」=推量の助動詞「べし」の未然形
「ず」=打ち消しの助動詞
→「ざるべからず」=〜しなければならない

 これらをもとにして訳すと、下のようになります。

小説が美術である理由を明らかにしようとするならば、まずは美術が何であるかを知らなければならない

 なんだか大変なことになってしまった・・・。これを続けなければいけないのかと思うと、グッタリっす・・・。でも、グッタリしたのは、文語文のせいだけではないんですよ。ぼく、あることに気がついちゃったんです・・・

 それは、いま、ぼくが読んでいる本は、130年前の文章だということです

 例えば、冒頭の一文には、「小説」や「美術」という単語が使われていますが、そもそも、「小説」や「美術」という単語は、いつから使われ始めたんでしょうか。つまり、何気なく当たり前のように読んでいる単語だって、もしかしたら、この時代には、当たり前ではなかったかもしれないのです!

 さらっと読み進めると、重要なところを見逃してしまう可能性があるのです。そのことに気が付いて、さらに、グッタリしてしまったわけです。しかし、ぼくは、今回、近代文学を読もうと決意しました。

 過去を知るということは、今の常識を疑うグッタリと付き合うということだと覚悟しなければなりません
 そこで、まずは、「小説」という単語について調べてみることにしました。

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